田中泯+谷口裕和「独独座ーコレモコテンー」

映画「国宝」はとても幅広い影響を社会に及ぼした。田中泯というダンサー・俳優も「国宝・万菊・鷺娘」で万人に通じるようになった。

筆者が田中泯の「ハイパーダンス」を初めて観たのは1978年のはずだ。場所は早稲田大学だったと記憶している。陰茎に包帯を巻いただけの裸体を褐色に塗って踊った。とても大きな人だという印象が残っている。同年身体気象研究所を設立。あらゆる分野の表現者たちが集う場所ということだ。風が吹くといきなり踊り出す人と言われていたので、ぴったりの名称だと思った。

映画「たそがれ清兵衛」(2002年)で俳優デビュー。俳優としての出演作の多くを筆者は観ている。ダンサーとしての田中泯を追ったドキュメンタリー映画「名付けようのない踊り」(2022年)も作られた。U-NEXTで観れる。

「国宝」で振付・舞踊指導の役割を担った、谷口裕和との合同公演「独独座」が本年2026年2月28日に嘉多能楽堂で行われた。この日筆者は、午前中に右大腿後面(ハムストリングス)の疼痛を起こしていたが無事行ってこれた。田中泯のダンスを見ようとするとインフルエンザに罹ったりなど、キャンセルする事態に今までよく見舞われていたのだ。

田中泯とは無関係だが、能舞台での現代演劇公演というと、1977年1月に矢来能楽堂で行われた、劇団転形劇場、太田省吾演出の「小町風伝」を思い出す。暖房が全く効いていなくて客席は凍える寒さだった。台詞のない沈黙劇。主演の佐藤和代は足の指の動きだけで舞台を移動した。公演は好評価で迎えられ、岸田戯曲賞を受賞した。

森山開次「踊る。遠野物語」

前回に続けて民俗学の話題で。日本民俗学は、柳田國男の説話集「遠野物語」により切開かれたと書いても今は問題とならないだろう。その意義についての検討は現代でも続けられている。舞台化の試みも絶えることはない。

2025年12月28日東京建物Brillia Holeで、Kバレエ・オプトのバレエ+舞踏+歌舞伎の「踊る。遠野物語」を観て感動した。年末で気が回らなく、ブログ等に載せるのはこれが初めてとなってしまった。東京での公演は12/26, 12/27, 12/28の3日間5回だけだった。期間が短すぎて勿体ない。

出自の異なる集団の踊りをバランスよくまとめあげたのは、自らのダンスも披露した演出の森山開次。Kバレエのメンバーはバレエを踊り、麿赤兒率いる舞踏集団大駱駝艦は舞踏を踊る。さらに名門・尾上家の寺島しのぶとフランス人アートディレクターの父の血を引く13歳の逸材尾上眞秀が、この世とあの世のあいだに佇む神秘的な少年を演じ、物語の運命を左右する。

400年以上前から遠野に伝わる郷土芸能シシ踊りの奥伝を、森山開次は板澤しし踊り保存会から授けられたということだ。今回の舞台、シシ踊りがクライマックスだった。

酉島伝法「無常商店街」

姉から猫の世話を頼まれ、 見知らぬ町に滞在することになった翻訳家の宮原。 近づかぬよう忠告されていた商店街にうっかり迷い込んでしまう。そこは常に景色が変容し、幾層にも重なりあった異界が垣間見える。宮原は商店街の深淵から救出されるも、姉が異界の町の御神体にされたことを知らされる。

商店街を異界に通じる迷路と感じるのは、都会育ちの少年ならばある程度共通して持つ感覚なのではないだろうか。

筆者は2歳から17歳の間、目黒区の目蒲線(現在の目黒線)沿線で暮らした。最寄駅の商店街は小さいものだったが、にこま通り商店街にニコニコ通り商店街がくっついているだけで、親に手を引かれた少年にとっては居場所が不確かとなって混乱した。

隣町のアーケード街は大きかった。筆者が住んでいた頃は、1956年完成の初代のもので、現在より短いが470mあったそうだ。1985年にアーケードが建て替えられ、現在は全長約800mで東京一の長さを誇るアーケード街である。歩いている時は、横道に区切られる度に、町並みが整数倍繰り返されていると感じていた記憶がある。

酉島伝法の小説の中では、人間が住む世界であり、若干昭和寄りであるが現在とさほど変わらない時間軸の民俗学的なお話である。慣れないうちは、造語の頻発に苦労するだろうが、熱心な読者はこのクラクラする感覚を求めているのである。

星街すいせい「SuperNova: REBOOT」Kアリーナ

#かけめぐるほしまち再

ライブのチケットは抽選で負けて取れませんでした。SPWNの配信で視聴。TV版アニメの「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」で、エンディング「もうどうなってもいいや」を歌ったので推しとなったVTuberの歌姫。現在のYouTubeチャンネル登録者数283万人です。

筆者は「にわか」です。この言葉まだ死語ではないですよね。筆者の年代の言葉を使えば「ミーハー」となります。

2024年3月にリリースした楽曲「ビビデバ」がスマッシュヒット。Billboard Hot 100では最高順位19位を記録しました。同年11月に再生数1億回を突破。

デビュー時、目標に掲げていた武道館ソロライブを2025年2月1日に達成。現在は東京ドームでソロライブを目標とアップデートしています。

Xで本人が選んだ写真として公開されている1枚。これは素敵な画です。

「渋谷区ふれあい植物センター」

区立の都市型植物園の「渋谷区ふれあい植物センター」に行きました。渋谷駅から歩いて行ける距離にあり、熱帯植物や果樹、ハーブ、食べられる植物などが展示されています。2023年7月に「育てて食べる植物園」として渋谷清掃工場からリニューアルして生まれたそうです。

日本でいちばん小さな植物園と紹介されるほどコンパクトな規模ですが、農と食の地域拠点としてのユニークな展示が注目を集めています。

以下、ウェブサイトより。

わたしたち『渋谷区ふれあい植物センター』は、どのような種を蒔くべきなのでしょうか。例えば、都市の中において植物や自然がもたらしてくれる恵みの豊かさを伝えることであったり、植物を通じて人と人が繋がるコミュニティを育むことの大切さだったり、生ゴミをそのまま捨てるのではなく、生きた土や堆肥として再生させて、都会だからこそ生まれる「資源」を循環させていけるような仕組みを作ることではないかと考えています。

開園時間は10:00から21:00。休園日は月曜日(月曜祝日の場合は翌平日)。2Fにカフェもあります。

「麗郷」 渋谷店

道玄坂と文化村通りを結ぶ小路(道玄坂小路)にある煉瓦造りの建物。

チョウヅメ(腸詰):麗郷で定番の台湾式ソーセージ。

シジミ(海蜆):これも麗郷の定番。

ナマコと海老の煮込み。

卒後51年経つ、都立青山高等学校のクラス会に2026.2.7参加した。場所は「麗郷」、渋谷の老舗の台湾料理店だ。

麗郷の創業は1955年、かつて恋文横丁と呼ばれた区域に臨む。昔の渋谷を今に伝える店の1つだ。台湾料理をベースにしつつ、戦後日本の「町中華×宴席中華」の流れを色濃く残す店というように、特徴が評価されている。我々のような、渋谷に郷愁を感じる前期高齢者にとって、とても親しみが深い。

当日オーダーした料理は他にも沢山あった。上に掲げた料理写真の3番目、ナマコと海老の煮込みは筆者が希望を出した。ここしばらくナマコ料理というものを食べていないことが気になっていたのだ。ナマコ自体には味がなく、醤油ベース+上湯(シャンタン)のとろみの味で、食感と上湯の旨味を楽しむ料理とされる。

マーク・ハッドン「夜中に犬に起こった奇妙な事件」

円城塔と田辺青蛙の作家夫妻が、交互に本を紹介し合う読書リレー「読書で離婚を考えた」で、円城塔からの課題図書として知った。

自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder:ASD)の特性を持つ少年の一人称で語られる小説。近所で殺された犬の謎を追うという枠組みで始まるが、事件そのものよりも認知様式の違いが世界の見え方をどれほど変えるかが描かれる。

語りは徹底して論理的で、比喩や感情の含みを排す。多くの読者にとって自然な「察する」「気持ちを汲む」といった理解の回路が前提とされない。そのため読者は、違和感、読みづらさを覚えるがその感覚が重要だ。

本書は、ASDを説明したり理解を促したりする啓発書ではない。むしろ、多数派の認知や感情理解が「標準」として機能していることを、読者に体感させる文学作品である。その意味で、診断名や知識以前に、「なぜ話が噛み合わないのか」「なぜ善意が伝わらないのか」を考えるための、サジェスションを与えてくれる。

筆者も自分が「暗喩」「忖度」「当てこすり」の領域を、不得意分野としていることに気がついた。

藤井啓祐「教養としての量子コンピュータ」

本書は、量子コンピュータを「未来の魔法の計算機」ではなく、いま現実に存在し、課題と制約を抱えた技術として理解するための教養書です。数式を用いず、

  • 古典コンピュータとの本質的な違い
  • 量子コンピュータが得意な問題・苦手な問題
  • なぜ実用化が簡単ではないのか

といった点を、物理・情報科学・社会的背景を横断しながら整理しています。

量子重ね合わせや量子もつれといった概念を過度に神秘化せず、現在の研究現場で実際に問題となっている

  • ノイズ
  • エラー訂正
  • スケールアップの困難さ

といった現実的な制約と結びつけて説明しています。

また、量子コンピュータの5大方式が紹介されています。現在主流の超伝導方式量子コンピュータの写真を富士通・理研の記事から持ってきました。金色に輝き、巨大な希釈冷凍機の内部でほぼ絶対零度でようやく量子ビットが安定します。この姿から量子コンピュータが最先端の実験装置であることが実感できます。

量子コンピュータを「夢」ではなく、現在進行形の科学技術として捉えるための教養を与えてくれる一冊です。

RX-78F00/E EX-001 G.L.R.S.S. Feather UNIT [JAL SPECIAL PACKAGE Ver.]

一昨日犬友から、表題の万博ガンダムコラボのガンプラをいただきました。EXPO 2025 「GUNDAM NEXT FUTURE PAVILION」出展機体を1/144スケールで立体化したものです。

「JAL Special Package Ver.」は、JALをイメージしたオリジナルデカールや、JALガンダムJETのパッケージデザインを採用した特別仕様のものです。販売形態が、往復航空券+宿泊を含むJALのオプショナルプラン限定、あるいは機内販売・おうちで機内販売といった限定ルートであることが明記されています。希少性がかなり高いキットと考えて問題ないようです。

とは言っても、転売する気は全くないので価格は気にしていないのですが。

パッケージにRX-78F00/Eガンダムは、モビルスーツが単独で長期にわたり無補給の宇宙空間で活動することを目的とした、再生可能エネルギー運用実証試験機であると書かれています。翼のように見えるものは、高性能太陽光発電セル群の集合体です。

宇宙世紀もののガンダムでは、モビルスーツはミノフスキー物理学(架空の物理学)によって実用化した小型の熱核融合炉を動力源としています。核融合用の燃料はヘリウム3と重水素であり、ほかに推進剤を必要とします。ツィオルコフスキーの公式に従って、推進剤を噴射してロケットは推進します。ツィオルコフスキーの公式が当てはまらないのは、ローレンツ力を利用したテザー推進に限られます。

予約が取れず、GUNDAM NEXT FUTURE PAVILIONの中には入れなかったので、再生可能エネルギー運用実証試験機というものが、どのような文脈で語られたのか筆者にはわかりません。長期間活動するにも推進剤は必要です。

同じ質量の推進剤ならば、燃費が良く長寿命のはやぶさ、はやぶさ2に搭載されたキセノン・イオン推進を主動力に用いるのがもっとも合理的と感じます。低推力で瞬間加速度は小さいので時間はかかります。

この長い時間をパイロットはどうやって生命を維持していくのでしょう。無人機であるか、「シドニアの騎士」のような光合成ができるようになった人類が操縦するという設定を用いないと不可能に思えますが、そのような記載はどこにも見つけられませんでした。

パイロットは人間だが、光合成型バイオスーツで栄養補給が可能といった補助設定が必要かも知れません。

(2026/1/21追記)筆者の勉強不足と誤解がバレてしまう記述でした。宇宙世紀もののガンダムのミノフスキー核融合炉は、ヘリウム3と重水素による第2世代核融合炉と自分で書いておいてわかっていなかった。重水素と三重水素の核融合炉と混同していました。なんのために、シャリア・ブルやパプテマス・シロッコが木星まで行ったのか、ちっとも頭に入っていなかった。D-3He反応では、高エネルギーイオンが発生し、この超高温プラズマを磁場でガイドし、適量のガスを混ぜて推進剤として噴射し、大きな推力を発生させることができるのでした。最高に好きな映画「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号も、D-3He核融合ロケットだということです。

多田富雄「サプレッサーT細胞」

絵がないと寂しいので、多田富雄の著書をここに載せます。

今年のノーベル生理学・医学賞を阪口志文が「制御性T細胞」で受賞されましたが、東大時代の恩師多田富雄の提唱した「サプレッサーT細胞」とどう違ったのかをまとめてみました。

どちらも免疫反応を抑制するT細胞の概念ですが、成立した時代背景、証拠の有無、研究の進展によって大きく性格が異なります。

多田富雄の「サプレッサーT細胞」

1970年代の概念:多田富雄が提唱したのは1971年。ちなみに千葉大学教授から東大教授になったのは1977年でした(筆者はM1の学生)。

問題点:サプレッサーT細胞を明確に同定できる分子マーカーがなく、再現性の乏しい結果も多かったため、1980年代には幻の細胞とみなされ免疫学の主流から退けられました。

阪口志文の「制御性T細胞(Treg)」

1995年の発見:胸腺で分化するCD4+CD25+T細胞が自己免疫を防ぐ抑制的な役割を持つことを報告しました。のちに転写因子FoxP3がその分化と機能のマスター遺伝子であることを示し、Tregは免疫抑制の実在の細胞として国際的に確立されました。

特徴:1)分子マーカーで同定可能。2)自己免疫疾患や移植、アレルギーなどにおいて抑制機能を果たすことが実験的にも臨床的にも証明されました。3)免疫の負の制御が実体を持つことを明確にしました。

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一度は否定された「サプレッサーT細胞」の概念ですが、歴史的な位置付けを考えてみると、免疫には抑制系があるという発想の出発点となっています。多田富雄はその挫折を正直に認めつつ、免疫の抑制系存在の直感は正しかったと後に語っています。阪口志文のTreg発見を喜び、自らの仮説が未来の発見の伏線となったことを誇りに思っていたということです。

1977年当時の東京大学医学部は「東大卒でなければ教授になれない」という慣習が強く残っていました。多田富雄が千葉大出身で東大教授になったのは慣習を打ち破る人事であり、免疫学という新しい学問の旗手として期待を集めたできごとでした。また、学生と一緒に新宿の裏通で飲むといった開かれた性格の方でした。