月別アーカイブ: 2016年10月

モルテン・ティルドゥム「イミテーション・ゲーム」

91jxpyhuy0l-_sl1500_数学者アラン・チューリング(1912-1954)の生涯を描いた2014年の映画「イミテーション・ゲーム」(日本公開は2015年)を、DVDで観ました。監督:モルテン・ティルドゥム。主演:ベネディクト・カンバーバッチ。

チューリングマシンの名の通り、コンピューターの誕生に重要な役割を果たしたアラン・チューリングですが、第二次世界大戦中にドイツのエニグマ暗号を解読し戦争終結に多大な貢献をしたことは、1970年代まで国家機密とされていました。

実際のエニグマ暗号解読の詳細については、サイモン・シン「暗号解読」などの書籍に詳しく書かれています。映画ではごく簡単に描写されているだけです。映画内でクリストファーの名で呼ばれる暗号解読装置ボンブは、映画の演出の都合上実物より大きく作られました。まるで1987年の日本のアニメ映画「王立宇宙軍 オネアミスの翼」に出てくる機械式コンピューターのように見えます。「オネアミスの翼」の方も、機械式コンピューターのデザインをボンブを参考にした可能性はあります。

これを書いた後Netflixで視聴可能になったので「オネアミスの翼」を見直してみましたが、コンピューターは電気式であり、機械式ではありませんでした。別の作品でしたか。「屍者の帝国」のは、もっとエレガントなデザインですし、記憶の出どころが不明です。失礼しました。

この映画の特に素晴らしいパートは、エニグマ暗号解読に成功してからラストまでの30分間です。

お勧めの映画です。まずは観てください。

宮内悠介「彼女がエスパーだったころ」

51iqltmjmflスペース金融道シリーズで有名な、SF作家宮内悠介が疑似科学に愛を捧げた短編集「彼女がエスパーだったころ」を読みました。スプーン曲げや終末期医療にまつわるあれやこれやなどがモチーフとして扱われています。語り手の記者である「わたし」は、疑似科学に批判的な立場から話を始めます。そして取材が進むに連れて、疑似科学を肯定も否定もしない境地に至ります。作者のインタビューによれば、科学リテラシーと信仰の両立であり、作者の愛の形です。

ガチガチの科学主義者であり、ネオ・ダーウィニズムを信奉するこのブログの筆者が、嫌っているはずの疑似科学に寛容な小説を紹介するのはいささか奇異に感じられるかも知れません。しかし、偏狭な価値観一辺倒ではないことをご理解いただけたと思います。

実は表紙のデザインとタイトルに惹かれて購入を決めたのでした。さらに皮肉なことに、入手した電子書籍版ではページを繰って表紙を見ることができません。講談社に改善を要望したい。

現実世界での社会現象ではありませんから、「水にありがとうと言葉を込めて、全世界の水を浄化する」と書いてあっても、筆者は目くじら立てて怒ったりはしません、しないつもりです、する一歩手前ですが踏みとどまります。

鳥公園「↗ヤジルシ」

京浜島の入り口の公演正面のモニュメント

京浜島の入り口の公園正面のモニュメント

2016年9月15日、京浜島の元鉄工所であるBUCKLE KOBOで、鳥公園の舞台「↗ヤジルシ」を観ました。

住民が1人しかいない広大な工業地帯である京浜島。この島の鉄工所を、オープンアクセス型アートファクトリーにしようというのがBUCKLE KOBOプロジェクトです。つまり、芸術家の工房として、誰にでも貸し出すという意味でしょう。この2階建の工場を舞台として借り切って公演が行われました。

鳥公園の芝居を観るのは初めてでした。徳永京子、藤原ちから著の「演劇最強論」で主宰者西尾佳織が紹介されていたので興味を抱いたのです。西尾佳織は大学・大学院で寺山修司、太田省吾を研究した経歴があります。

「↗ヤジルシ」は太田省吾の最後の戯曲になります。私は、太田省吾の転形劇場の舞台は、その出世作「小町風伝」しか観たことがありません。1977年の真冬、暖房がまったく入っていない矢来能楽堂で観た沈黙の演劇はしっかりと記憶に残っています。足の指先の動きだけで舞台を移動した主演女優、佐藤和代の評判が口コミで広がって、演劇史に残る出来事となったのです。

廃工場での回遊型の公演で、お客は自由に移動して演じられている芝居を観る形式であるとの事前の説明から、寺山修司の天井桟敷の舞台の再来も期待して観劇に臨みました。

思い描いていたよりも狭い工場でした。1階と2階で同時進行的に演技が行われていましたが、寺山修司の「百年の孤独」(1981) のような、同じフロアのそこかしこで別々に進行する舞台を期待していた身には、スケール感が期待はずれとなりました。天井桟敷の蘭妖子、高橋ひとみに匹敵する魅力ある俳優にも出会えませんでした。

70年代演劇を経験したものは、未だに過去の亡霊にとらわれているということなのでしょうか。

今回の舞台を総括すると、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」のカテゴリーに属すという印象となりました。

塩田千春「鍵のかかった部屋」

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2016年10月2日、神奈川芸術劇場、中スタジオで、塩田千春のインスタレーション、「鍵のかかった部屋」を観ました。2015年、第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展に日本代表作家として出品し高い評価を得た《掌の鍵》を、帰国記念展として再構成した新作です。使われたのは、15,000個の鍵、3,000ロールの赤い糸、5つの扉。

赤い糸は血管、血液を連想させ、5つの扉を抜けて巨大生物の体内を経巡る思いをもたらします。また、空間に直立した扉は異世界への入り口であり、ここを抜けると2度と元の世界に帰れないという幼少期に心の奥に刷り込まれた恐怖を呼び起こします。吊るされた15,000個の鍵は、実際に人が使用していたもので全世界から集められたそうです。

写真撮影は自由でした。観客も多く勇気づけられましたが、もし他に誰もいなかったなら、通り抜けた扉の順番を逆になぞって、必ず元の世界に帰れるように移動したことでしょう。しかし、このように行動しても位相のずれが生じてしまって、どうしても異世界に留まることになる宿命が待ち受けていそうでした。