カテゴリー別アーカイブ: 演劇

ロマン・ポランスキー「毛皮のヴィーナス」

2013年のフランス映画、ロマン・ポランスキー監督の「毛皮のヴィーナス」を、prime videoで観た。19世紀オーストリアの小説家マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」をもとにした、劇作家デイヴィッド・アイヴズの舞台劇の映画化である。

「毛皮を着たヴィーナス」を脚色した舞台を上演しようとする脚本家・演出家のトマは、オーディションに遅刻してきた無名の女優ワンダの演技を見ることとなった。俗世間の偏見を代表するような発言をしていたワンダだったが、役を始めてみるとその理解は深く、トマが望む理想の演技をするのだった。やがて2人の立場は逆転していく。最後に2人は役を交換して、カタストロフィに至る。

ワンダをポランスキーの妻でもあるエマニュエル・セニエが、トマを「潜水服は蝶の夢を見る」のマチュー・アマルリックが演じた。2人芝居であり、この2人しか映画には出てこない。

脚本家、演出家にとって役を充分に理解した理想的な役者とは、自分自身の投影か。映画は、台本の読み合わせから始めて、まだ書いていないシーンの即興演劇に移っていく。自分自身が相手役ならば、完璧な即興演劇も可能だ。このブログの筆者の繰り返し見る悪夢の1つに、まだ脚本すら書いていないのに舞台に立っているという辛いパターンがある。この状況を相手役に支えられた即興演劇で乗り切った夢の続きを見たときに同じことに気づいた。

新宿梁山泊「ユニコン物語」

2018年6月17日、新宿花園神社で、新宿梁山泊の紫テント公演「ユニコン物語」を観た。

唐十郎率いる紅テント、劇団状況劇場での初演は1978年の春だった。池袋駅東口びっくりガード横にテントを張って、常田富士男が客演したことは思い出した。西武デパート池袋店に、まだ西武美術館があった時代であり、池袋を芸術の中心地と呼んでもおかしくなかった頃の出来事だ。冒頭のカツ丼が空を飛ぶシーンははっきり覚えているが、もうほとんどの記憶がかすれている。根津甚八が状況劇場で最後に主演したのは「ユニコン物語」ではなかったっけ? いや、それは「河童」だったっけ?

劇団唐ゼミで唐十郎による改訂版「ユニコン物語 溶ける角篇」が2006年に上演されたようだが、これは観ていない。金守珍によれば、オリジナルの台東区篇の再演は今回が初めてということだ。

テント芝居では、必ず桟敷席でかぶりつきに座ることを自らに課して来たのだったが、腰がいよいよ耐えられなくなって、階段指定席というものを初めて取った。背もたれ付きのクッションが用意されていて、桟敷にベタずわりするのと比べると信じられないくらい楽だった。

今回も大久保鷹が出るので観に行ったのだ。なかなか出番が回ってこなかったが、昔よくやってた、唇と鼻の間の三角形を緑色にべったりと塗るメイクをしていた。

装置が状況劇場と比べると、全体に立派できっちりと作ってあった。どこからお金が出ているんだと思ったら、文化庁の文化芸術振興費補助金を取得していた。ネンネコ社本社ビルは、状況劇場ではリアカーの屋台みたいなものだったので、

医者 なんか柔構造らしいね

看護婦 はい、どんな地震でも耐えますが、体当たりには弱いらしいですわ

という科白が生きたのだ。

大久保のロケット工場で上演された状況劇場の「糸姫」(1975年)で、小林薫がオートバイで爆音を上げて、舞台上、目の前で回転するのを見て衝撃を受けた。今回の大鶴義丹のバイクアクションは「だから何?」という感想となってしまった。昔と違って、騒音問題で近隣住民の手前、爆音を上げるわけには行かないんだろうなあと同情しておこう。

同時期に上演された劇団唐組の「吸血姫」で、主演した大鶴義丹の異母妹、大鶴美仁音の評判が良い。唐組は唐十郎が倒れてから観に行ってなかったが、次の公演も大鶴美仁音が出るなら足を運ばなくては。

唐十郎「秘密の花園」

2018年の公演のパンフレット

1982年の公演のDVD

2018年1月25日に、池袋の東京芸術劇場シアター・イーストで唐十郎作、福原充則演出の「秘密の花園」を観た。東京芸術劇場がプロデュースするRooTSという企画の第5弾となる。アングラ世代の現代演劇の戯曲を、若手・気鋭の演出家が新たに解釈するというシリーズで、前作「あの大鴉、さえも」竹内銃一郎作、小野寺修二演出、小林聡美、片桐はいり、藤田桃子出演は、演出、演技ともになかなかおもしろかった。2016年10月のことだ。このブログに書くことはサボってしまった。

さて、唐十郎「秘密の花園」の初演は1982年で、本多劇場のこけら落とし公演にあたった。演出は文学座の小林勝也で、緑魔子、柄本明、清水紘治が出演した。この舞台を観たかどうかの記憶がどうもはっきりしない。1982年は、筆者は医師として2年目の丁稚奉公の時代であり、芝居を観に行く心の余裕はなかったはずだ。この舞台のDVDを2007年に購入して観ていること、1998年10月に鬼子母神でやった劇団唐組、唐十郎演出の「秘密の花園」を観ていること、以上と、劇団第七病棟の公演で、緑魔子の舞台をよく観ていたことから、記憶の混乱・捏造が起こっているようなのだ。

劇団唐組は、唐十郎が劇団状況劇場を解散した後に結成した、状況劇場と同じく紅テント公演をおこなう劇団で、旗揚げは1988年である。1998年の公演では、緑魔子が演ったいちよ/もろはを飯塚澄子が、柄本明のアキヨシを堀本能礼が、清水紘治の大貫を稲荷卓央が演じた。

唐十郎は、役者に合わせて脚本を当て書きする手法を用いる。「秘密の花園」は緑魔子に当て書きされている。1982年のころ、緑魔子、石橋蓮司の所帯に、あがた森魚が居候していたので、この人物相関図を唐十郎に書かれたと噂されていた。真実のほどは知らないが、だとすれば大貫の役は石橋蓮司に当たり重要であることがわかる。清水紘治、稲荷卓央の配役もうなずける。

今回の公演では、大貫を田口トモロヲが演った。もっとかっこよく、内に秘めたるものが大きい役をイメージしてたので期待と違った。アキヨシの柄本佑は、どうしてもお父さんと比べられてしまうのがかわいそうだが悪くはなかった。いちよ/もろはの寺島しのぶは、客観的にはいい演技と評価できるのだが、筆者の世代が緑魔子に抱く特別な感情の対象とはなりえない。

思春期のころからの憧れの女優が、自分の属する現代演劇の世界にやって来たのが、1976年12月の劇団第七病棟の旗揚げ公演「ハメルーンの鼠」だった。唐十郎の脚本で、演出は石橋蓮司ではなく黒テントの佐藤信だった。第2回公演「ふたりの女」は、1979年に町屋の第七病棟アトリエで公開された。このころちょうど町屋でバイトをしてたので、狭い路地が連なる街並みでも迷子になることはなかった。近い距離で緑魔子を見れたので喜びもひとしおだった。

「Scarborough Fair」


アニメ「終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?」の第1回放送のオープニング曲に「スカボロー・フェア」が使われていた。「スカボロー・フェア」はイギリスの伝統的バラッドであり、その歌詞、旋律には様々なバージョンが存在する。多くの人の心に大切な記憶として植え込まれているのは、サイモン&ガーファンクルによる楽曲だろう。

この歌は、スカボローという街の市に行く人に、昔の恋人への伝言を頼むという形式を取っている。そして、海水と波打ち際の間に1エーカーの土地を見つけ、革製の鎌で収穫を刈り取るなどの不可能な仕事を成し遂げてくれれば、再び恋人になれるだろうと謡う。パセリ、セージ、ローズマリーにタイムと、香草の名前が一節毎に合いの手として入る。

「終末なにしてますか?忙しいですか?救ってもらっていいですか?」では、山田タマルが歌を、編曲を加藤達也が担当した。

地上を正体不明の怪物である17種の獣に征服され、人類が滅んだ世界。かろうじて生き残った種族は地上を離れ、レグル・エレと呼ばれる空飛ぶ群島の上に暮らしていた。地上が滅びる前の戦いで石化し、一人だけ死を逃れた準勇者の主人公が復活したのは500年後だった。借金を返すために引き受けた兵器管理の仕事で、ヒロインたち妖精兵と出会った。妖精兵はレプラコーンであり人類と同じことができ、かつて人間の勇者しか使えなかった聖剣を振るう、使い捨ての兵器と看做される存在だった。

2009年7月にシアター・クリエで観た椎名桔平、内田有紀主演の舞台「異人たちとの夏」でも、「スカボロー・フェア」が使われ、特にその歌詞が重要な役割を果たしていた。演出は鈴木勝秀。歌の中の一連の不可能な願いは、サイモン&ガーファンクル版や他のミュージシャンによるカバー版では短くされているが、元となったバラッドではいろいろなことが語られている。ぜひともWebで調べてみて欲しい。

そして、1967年のダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」の挿入歌として用いられ、世界的に有名になったのが、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」だ。「卒業」はラストの、結婚式の最中に花嫁を奪い取るシーンで広く知られている。反体制的な若者を描いたアメリカン・ニューシネマを代表する作品である。

新宿梁山泊「腰巻おぼろ」

紫テント

宣伝美術は宇野亜喜良

1975年発行の初版本。豪華函入り

2017年6月22日、新宿、花園神社で紫テント、新宿梁山泊の「腰巻おぼろ」を観た。「腰巻おぼろ」は、唐十郎が、紅テント、状況劇場で1975年に初演した。42年経って、自他ともに認める状況劇場のスピリットの継承者の手による、初めての再演となった。

1975年春は、私は18歳で、駒場で学生演劇を始めたばかりの頃だ。受験勉強中の余暇に戯曲はそれなりに読み込んでいたが、実際の観劇体験はわずかだった。なんだかよくわからないうちに1本の公演を慌ただしく終わらせた時、もう大学を卒業している劇団の先輩達がやって来て、「腰巻おぼろ」に誘ってくれた。しかし、すでに予定を入れていた。唐十郎率いる状況劇場はとても面白い芝居を演り、自分の属する劇団メンバーの多くが状況劇場とその役者陣を大好きで、熱愛しているということは後で知った。今までの指導者が抜けたところで、当時の普段接していた指導層の先輩方がそれまでのカラーを払拭したくて、状況劇場は凄い、観るべきだという教育をあえて避けていたのだと聞いた。まったく、強く誘ってくれたら予定なんていくらでも動かせたのに。私自身の状況劇場初体験は、1975年秋公演の「糸姫」となった。桟敷席にすし詰めに座って舞台を観て、感動の嵐を味わった。

1975年は、野田秀樹が一浪から東大に入学し、さっそく駒場のお隣さんの劇団、東大演劇研究会で、作・主演で活動を開始した時でもあった。当時の東大演劇研究会は教育大駒場(今の筑波大駒場)卒の人間が幹部を占めていて、教駒であらずんば人にあらずという雰囲気だったのだが、1976年に劇団夢の遊眠社を旗揚げし、明るく楽しい新しい演劇が、花開いていく様を間近で見せてくれた。

さて、今回の42年前の満たされない思いに対するリベンジの、自分への言い訳は、過去に状況劇場に所属した俳優大久保鷹が当時と同じ役で客演するということだった。髪を可愛らしく段をつけてカットしていて小奇麗な印象を受けた。唐十郎の息子の大鶴義丹が、唐十郎が演じた「千里眼」の役をやった。しかし、父親との才能の差が歴然としていると感じるのは、過ぎ去った時に対する郷愁がさせるのだろうか。李麗仙ならば、根津甚八ならばと、考えてしまうのもどうしようもないことか。

テント芝居でいつもするように、桟敷席の一番前のかぶりつきに陣取り、3時間半じっと座って、役者の汗と唾液を受け止め、舞台から放たれる鯨の潮吹きの水を浴びた。初演は不忍池の水上音楽堂だったのだから、役者が水の中から登場し、観客はもっともっと水を浴びたことだろう。観客の多くが、アングラ演劇全盛の頃を知っている世代なので、平均年齢は高めだった。

鳥公園「↗ヤジルシ」

京浜島の入り口の公演正面のモニュメント

京浜島の入り口の公園正面のモニュメント

2016年9月15日、京浜島の元鉄工所であるBUCKLE KOBOで、鳥公園の舞台「↗ヤジルシ」を観ました。

住民が1人しかいない広大な工業地帯である京浜島。この島の鉄工所を、オープンアクセス型アートファクトリーにしようというのがBUCKLE KOBOプロジェクトです。つまり、芸術家の工房として、誰にでも貸し出すという意味でしょう。この2階建の工場を舞台として借り切って公演が行われました。

鳥公園の芝居を観るのは初めてでした。徳永京子、藤原ちから著の「演劇最強論」で主宰者西尾佳織が紹介されていたので興味を抱いたのです。西尾佳織は大学・大学院で寺山修司、太田省吾を研究した経歴があります。

「↗ヤジルシ」は太田省吾の最後の戯曲になります。私は、太田省吾の転形劇場の舞台は、その出世作「小町風伝」しか観たことがありません。1977年の真冬、暖房がまったく入っていない矢来能楽堂で観た沈黙の演劇はしっかりと記憶に残っています。足の指先の動きだけで舞台を移動した主演女優、佐藤和代の評判が口コミで広がって、演劇史に残る出来事となったのです。

廃工場での回遊型の公演で、お客は自由に移動して演じられている芝居を観る形式であるとの事前の説明から、寺山修司の天井桟敷の舞台の再来も期待して観劇に臨みました。

思い描いていたよりも狭い工場でした。1階と2階で同時進行的に演技が行われていましたが、寺山修司の「百年の孤独」(1981) のような、同じフロアのそこかしこで別々に進行する舞台を期待していた身には、スケール感が期待はずれとなりました。天井桟敷の蘭妖子、高橋ひとみに匹敵する魅力ある俳優にも出会えませんでした。

70年代演劇を経験したものは、未だに過去の亡霊にとらわれているということなのでしょうか。

今回の舞台を総括すると、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」のカテゴリーに属すという印象となりました。

シス・カンパニー「コペンハーゲン」

cover12016年6月23日、シス・カンパニーの公演「コペンハーゲン」をシアタートラムで観ました。作:マイケル・フレイン、演出:小川絵梨子、キャストは不確定性原理で有名なハイゼンベルクを段田安則、その師匠ニルス・ボーアを浅野和之、ボーアの妻でその秘書を務めていたマルグレーテ・ボーアを宮沢りえが演じました。3人芝居です。

ニルス・ボーアとハイゼンベルクは量子力学を創設し、量子的重ねあわせのコペンハーゲン解釈を提唱したことで知られています。粒子は空間内にシュレディンガーの波動関数に従った確率的広がりを持って存在しているが、観測が行われた瞬間に1点に収束するというやつです。

ナチス・ドイツの占領下にあったコペンハーゲンのニルス・ボーアのもとを、1941年9月の終わりのある1日、ハイゼンベルクが歴史的にも謎とされる訪問を行いました。ハイゼンベルクは母国ドイツに留まり、ナチスの原爆開発チーム、ウランクラブの一員となっていたのです。訪問の意図はなんで、この1日になにが話し合われたのかを、すでに鬼籍に入った3人が後になって検証を試みるという筋立てです。

連合国側の原爆開発の情報を探るため、ナチスの原爆開発を阻止するため、ボーアをナチス側に引き入れるため、ただ自慢をしたかっただけなど、さまざまな可能性が演じ直されます。しかし、起こり得たことが提示されただけで、その内容によって歴史が変わったかもしれない事実は「不確定」であることが浮かび上がって来ます。

自分の物理学の思い出を語ります。大学の教養課程で、理系の学生は数学、物理、化学、生物は必修科目で予定が詰まっていました。教科書は指定されずいくつかの参考書が紹介され、それを好きに選んで勝手に勉強するのが私の大学の方針でした。電磁気学で選んだ「ファインマン物理学」(岩波書店)は、とても面白く興奮を呼び名著であることがわかりました。全巻買い直して手元にあります。第V巻の量子力学は1979年初版で、私の駒場時代にはまだ出版されていなかったことに気づきました。本郷に上がってから、量子コンピューターがお伽話ではなくなってきた現在に至るまで、じっくりと量子力学を勉強する暇は残念ながら見いだせていません。

 

マームとジプシー「cocoon」

IMG_16232015年7月2日、マームとジプシーの公演「cocoon」を、東京芸術劇場シアターイーストで観ました。2013年に好評を博した公演の再演に当たります。原作は今日マチ子の漫画「cocoon」で、沖縄戦が舞台ですが、歴史に残る悲惨な出来事をリアルに描くのではなく、悲劇に封じ込められてしまった少女たちの気持ちを中心に表現したものです。原作者と演出家藤田貴大が共同して芝居を作り上げていった様を、初演時の今日マチ子のメイキングエッセイとして、ほぼ日刊イトイ新聞の中で見ることができます。今回の再演にあたっては、共同作業をさらに深いものにしていったということです。

原作漫画を最初に読んだ時、白い影として描かれる男たちや、時代と場所を明確にしない描写など作者の意図した表現の間隙が、すべて岡本喜八監督の映画「沖縄決戦」の具体的で生々しいイメージによって、私の脳内で補完されてしまいました。この漫画だけでは、何か弱い。漫画の意図に合わせて表現を補強する必要があると感じられました。同じ思いを持った人が多かったのでしょうか。舞台化は必然のものだったのかも知れません。

芝居は素晴らしいものでした。繭にくるまれ守られた箱庭的世界、少女たちの学園生活の日常を、隙のないリフレインで濃密に描き、私の雑念が入り込む余地はありませんでした。

役者集団の計算された一糸乱れぬ動き、木の枠を次々と動かしながら窓・壁を表現していく様、ロープで舞台を区切って長い廊下での歩行・会話を表す手法、いずれも見事でした。ほぼ正方形の舞台は沖縄の砂を模した砂が敷き詰められ、これが終盤の海岸のシーンに昇華していきます。そして海岸を全力で走ること、走ること。若さは羨ましいものです。

主人公サンの親友まゆの死がクライマックスになるのですが、死の表現に特別な演出は用いられず、それまでの他の少女たちの死と同等でした。藤田貴大にとっては、すべての少女の死が総体としてドラマを形作っていくという解釈なのでしょうか。

若い世代の演出家による感動を呼ぶ舞台に巡りあうことは、なかなか難しいものとなってしまっています。応援していきます。

 

日本総合悲劇協会「不倫探偵〜最後の過ち〜」

IMG_15762015年6月4日、本多劇場にて大人計画プロデュース、日本総合悲劇協会「不倫探偵」を観ました。作・演出は天久聖一と松尾スズキのタッグマッチ。

本多劇場に行くのは、なんと9年ぶり。その9年前にも20年ぶりに本多劇場に行きましたと、観劇体験を川崎市眼科医会報に書いているのですが。下北沢の駅から街並みまですべて工事中で、方向感から喪失し劇場にたどり着くまでスマホ頼り。松尾スズキの芝居を観るのも、2013年の「マシーン日記」東京芸術劇場以来2年ぶり。そう、私は松尾スズキの熱心なファンではありません。まことに申し訳ありません。実は、二階堂ふみ出演が観劇の動機です。二階堂ふみの舞台への出演は今回が3作目ですが、これまでの「八犬伝」「不道徳教室」ともにすべて観ているのでした。

舞台は、漫画的あるいは通俗小説的な設定と笑いが全開。キャラクターはすべて何かのパロディーぽい。いきなり最初から、不倫探偵と人妻が自己紹介。役者の歩き方まで、非現実的なカクカクした動きが決められていました。

平田オリザの提唱した現代口語演劇に始まるリアリティ重視の演劇が、1990年代以降の演劇ではメインストリームとなった感があります。この静かな演劇も、ドグマ化してしまうと息苦しいものです。静かな演劇に対し絶叫の演劇と言われた1970年代の演劇、現代演劇がアングラ演劇と言われた時代、それまでの標準、規範であった新劇との対決構造の上に演劇はありました。現在の演劇シーンはなんでもありですから、もうこんな対決構造を持ち出す必要はありませんが、ドグマに対して反抗するのが人間のならいでしょう。歴史的には、大人計画の演劇は、現代口語演劇理論より古くから世に受け入れられていますが。

そして、二階堂ふみ。前2作とは、まったく異なった演技。ダンスのために相当な肉体訓練を積んだはずですが、その苦労など微塵も感じさせずに、サラッと演じていました。

一番の問題は、観客である私が、体験を共有するのに前提となる江戸川乱歩などの探偵小説をまったく読んだ経験がないことでしょうか。クラブで松尾スズキが唄うシーンでも思い浮かべたのは、デヴィッド・リンチの映画「マルホランド・ドライブ」でした。まあ、でも爆発的な笑いの前では些細な問題ですね。