作成者別アーカイブ: hiratoadmin

多田富雄「サプレッサーT細胞」

絵がないと寂しいので、多田富雄の著書をここに載せます。

今年のノーベル生理学・医学賞を阪口志文が「制御性T細胞」で受賞されましたが、東大時代の恩師多田富雄の提唱した「サプレッサーT細胞」とどう違ったのかをまとめてみました。

どちらも免疫反応を抑制するT細胞の概念ですが、成立した時代背景、証拠の有無、研究の進展によって大きく性格が異なります。

多田富雄の「サプレッサーT細胞」

1970年代の概念:多田富雄が提唱したのは1971年。ちなみに千葉大学教授から東大教授になったのは1977年でした(筆者はM1の学生)。

問題点:サプレッサーT細胞を明確に同定できる分子マーカーがなく、再現性の乏しい結果も多かったため、1980年代には幻の細胞とみなされ免疫学の主流から退けられました。

阪口志文の「制御性T細胞(Treg)」

1995年の発見:胸腺で分化するCD4+CD25+T細胞が自己免疫を防ぐ抑制的な役割を持つことを報告しました。のちに転写因子FoxP3がその分化と機能のマスター遺伝子であることを示し、Tregは免疫抑制の実在の細胞として国際的に確立されました。

特徴:1)分子マーカーで同定可能。2)自己免疫疾患や移植、アレルギーなどにおいて抑制機能を果たすことが実験的にも臨床的にも証明されました。3)免疫の負の制御が実体を持つことを明確にしました。

🔬🔬🔬🔬🔬

一度は否定された「サプレッサーT細胞」の概念ですが、歴史的な位置付けを考えてみると、免疫には抑制系があるという発想の出発点となっています。多田富雄はその挫折を正直に認めつつ、免疫の抑制系存在の直感は正しかったと後に語っています。阪口志文のTreg発見を喜び、自らの仮説が未来の発見の伏線となったことを誇りに思っていたということです。

1977年当時の東京大学医学部は「東大卒でなければ教授になれない」という慣習が強く残っていました。多田富雄が千葉大出身で東大教授になったのは慣習を打ち破る人事であり、免疫学という新しい学問の旗手として期待を集めたできごとでした。また、学生と一緒に新宿の裏通で飲むといった開かれた性格の方でした。

アラン・レネ「去年マリエンバードで」

前回の投稿でこの映画に触れた。このブログの筆者が最初に出会ったのは学生の時で、名画座の一番後ろ、立ち見で背伸びしながら観た記憶がある。今回手持ちの古いDVDで見直した後、4kデジタル・リマスター版の存在を知りU-NEXTでさらに見直した。

アラン・ロブ=グリエによる脚本を、アラン・レネが監督した1961年のモノクロ映画。難解なことで有名な作品である。

時代も国籍も不明なバロック調の宮殿のようなホテルに宿泊し、社交に興じる客たち。その中に女Aと男X、男Mの3人がいた。MとAは夫婦だが、XはAに対し、1年前に会い、愛し合ったと語りかける。Aは否定するが、Xは1年後に駆け落ちする約束もしたという。

女Aを、デルフィーヌ・セイリグが演じた。彼女の衣装はココ・シャネル自らのデザインである。

そして、2018年にシャネルの主導により、「去年マリエンバードで」の最高精細・最高解像度での4Kデジタル完全修復が実現した。以前のバージョンと比べると、映像のコントラストが格段に良くなり音声もくっきりと聞こえる。詳しい解説のある、4kデジタル・リマスター版公式サイトがWebに作られている。

Wikiによると、後年、脚本のアラン・ロブ=グリエがこの映画の仕掛けについて語っている。

  1. 現在
  2. Xの回想(Xにとっての主観的事実)
  3. Aの回想(Aにとっての主観的事実)
  4. 過去(客観的事実→Mの視点)

の4本の脚本が作られ、それらをバラバラにつなぎ合わせて、最終的な脚本が完成したという。これは、映画を読み解くための大きなヒントとなる情報だ。

円城塔「去年、本能寺で」

歴史を題材にしながら、鮮烈なSF的想像力によって読者を異なる時間と空間に連れ出す野心作です。

織田信長の本能寺を舞台の中心として、過去と未来、現実と虚構を交錯させることで、歴史的事件を一つの「もしも」のシミュレーション空間として提示します。そこでは因果ははずれ、時間は裂け、人物たちはデータのように複製されていく。

従来の時代小説的枠組みを逆手に取り「歴史=固定された過去」という常識を覆すこの作品は、まさにSF小説ならではの実験精神の結晶です。

題名はフランス映画の巨匠アラン・レネの「去年マリエンバードで」(1961)への明確なオマージュとなっています。

「去年マリエンバードで」は記憶と時間、現実と虚構の境界を揺さぶる前衛的な映画で、登場人物の語りも、映像の構成も、観客に「これは現実か幻想か」を問いかけるものでした。円城塔の小説も同じように、「本能寺の変」という歴史的出来事を、確定した過去ではなく、ずれ・反復・仮想が入り込むSFの舞台装置として描いています。

豊永浩平「月ぬ走いや、馬ぬ走い」

沖縄出身、新しい世代の小説。

十四章の構成で沖縄の近現代史を描き切る。豊永浩平の小説「月(ちち)ぬ走(は)いや、馬(うんま)ぬ走(は)い」は、沖縄の方言のリズムを生かしながら、戦争の爪痕と人間の欲望を描き出す力強い作品です。

題名は「月が駆けるように、馬が駆けるように」という古い表現からとられ、時の流れの速さや、人間の生き急ぐ姿を象徴しています。

物語では、沖縄戦で崩れた社会の秩序や共同体の絆が描かれると同時に、その混乱の中で生じた性の乱れや人間関係の歪みも赤裸々に示されます。戦争は人を殺すだけではなく、生き残った人々の生活や価値観をも変えてしまう。その現実を、豊永は沖縄の言葉を通して普遍的なテーマへと昇華させました。

沖縄という土地の記憶から生まれた物語は、世代も地域も越えて、私たち一人ひとりの心に問いかけてきます。

シリア、アレッポの天然石鹸

もう長いこと、左後頭部を中心とした被髪頭部に湿疹が起こっている。シャンプーなどに含まれる合成界面活性剤を問題視して、2008年よりこの17年間ずっと天然石鹸のみで洗っている。

天然油脂が原料で、合成界面活性剤・化学添加物不使用なのが天然石鹸だ。フランスのマルセイユ石鹸「サボンドマルセイユ」が昔から有名だが、2008年ごろはシリア第2の都市アレッポで作られる石鹸の評価が高くなり広まって行った時期だった。そしてシリアというと真っ先に思い出すノンフィクションがあった。歴史や地理の教科書的知識ではなく、物語性があったほうが購買意欲に結びつきやすい。

サダム・フセインが1990年8月にクウェートを侵攻し、多国籍軍による湾岸戦争が始まったのは1991年1月のことだ。英国陸軍特殊部隊SASがイラクの移動式スカッドミサイルを無力化しようと立てた作戦「ブラヴォー・ツー・ゼロ」。任務に失敗し、イラクの隣国シリアに徒歩で逃走ということになった。距離は300km。東京から豊橋までの距離に相当する。

8名の隊員のうち3名が死亡(2名は低体温症で)、4名が捕虜となり、1名のみがシリアに脱出できた。捕虜はイラク軍兵士に拷問された。邦訳の出版は1995年。1999年に映画化。

東京都福生市の株式会社アレッポの石鹸(1994年創業)がシリアのアデルファンサ社製造の石鹸を輸入販売したのが「アレッポの石鹸」だ。着実に販売個数を伸ばしていたが、2011年にシリア内戦が始まると反体制派の拠点だったアレッポは激戦地となった。2014年にはイスラム国がアレッポの一部地域を占拠した。

2014年にアデルファンサ社は国内避難。他の石鹸会社もトルコに難民となったところが少なからずある。トルコ生産の石鹸は「アレッポからの贈り物」「アレッポの石鹸職人から」などのブランド名となっている。

2024年12月に反体制派が首都ダマスカスを制圧、50年以上独裁を続けたアサド政権は崩壊し内戦は終結した。また、2024年12月ユネスコがアレッポの月桂樹石鹸の職人技を無形文化遺産に認定。アデルファンサ社もアレッポに戻って操業している。政情の安定を願う。

通常サイズで「アレッポの石鹸」は180または200グラム。「サボンドマルセイユ」は300グラムだ。どちらも大きいので豪快に使える。天然石鹸は融解しやすいので、トレイを乾かしておく注意が必要だ。ソープディッシュ上に置いた方が石鹸が濡れにくく良い。

鷹匠裕「愚図の英断」

小説家になった古くからの友達の新作を読了しましたので、紹介させていただきます。

紹介(版元ドットコムからの丸写しです。)

日本国憲法施行後初めて、国会で選ばれた首相であり、吉田茂に怖れられ、マッカーサーに愛された昭和のキーパーソン、片山哲を描く。

昭和100年、戦後80年の今年、昭和史の隠れたキーパーソンが注目されている。
戦後まもなくの昭和22年6月~23年2月に総理の任にあった片山哲(第46代首相)の生涯がノンフィクション仕立てで初めて描かれた。

日本国憲法施行後初めて国会で選ばれた首相・片山は、日本政治史上初の社会党・クリスチャン総理だった。占領下で日本の民主化を着々と進めたが、在任期間が短かったためにこれまでほとんど注目されてこなかった。在任中には「グズ哲」という芳しからぬあだ名も付けられた。

しかし、昭和史の中でその功績を見直すために本書は執筆された。

GHQの支配下にありながらも日本の主権を護り、民主化改革を次々と実現、平和国家として日本を再建していった片山内閣は、現代の日本に大きな影響を残した。もし、片山が舵取りを間違っていたら、日本はアメリカの51番目の州になったか、ソ連の管理下で共産化されていたかもしれない。

さらに護憲運動とともに、政界の浄化を生涯のテーマとして取り組んだ片山の政治家としての姿勢は、現代にも学ぶべき点が大きい。

本書は、片山の出身地である和歌山県の『紀伊民報』に著者が昨年から今年にかけ連載した長編小説を加筆修正し単行本化した。史実に基づき、片山の思い、行動を「英断」としてヴィヴィッドに描き、連載中から「ぜひ出版を」という声が寄せられていた。発刊にあたり、歴史に埋もれた偉人の足跡に光が当て直されることを願う。

以上です。

セーシェル「ココ・デ・メール」

EXPO2025、2025年6月24日コモンズAでアフリカ、ケニアの東、インド洋上赤道少し南の国、セーシェルの展示を見た。

今から41年前の1984年に、セーシェルの中の、首都ヴィクトリアを擁するマヘ島、ヴァレ・ド・メ自然保護区のあるプララン島、数百万羽のセグロアジサシが集まる珊瑚礁のバード島の3つの島を旅行している。プララン島が一番気に入った。

セーシェルを象徴するユニークな植物「ココ・デ・メール」(和名:双子ヤシ)を紹介する。

ココ・デ・メールの実は植物界最大で、重さは最大40kgにも達する。人間のお尻に似た独特の形。現在は世界遺産となっているヴァレ・ド・メ自然保護区が最大の自生地である。

ヴァレ・ド・メの世界遺産登録は1983年にユネスコによる推薦の後、正式登録は1987年。現在は保護が非常に厳格化し、散策路、案内サイン、ビジターセンターが設けられガイドツアーの質も向上、保護と観光の両立を目指す整備が進んでいるという。

1984年当時は道路は舗装されておらず小型バギーで散策したが、現在はバギーは公道走行禁止で、タクシー、電気シャトル、徒歩観光が主流。宿泊施設もコテージから高級ヴィラに移り変わり料金帯も上昇と。

現在のセーシェルは地球温暖化の影響が明確である。とくに海面上昇、サンゴ礁の白化、生態系の変化といった現象が深刻な問題として表面化している。セーシェル政府は「小島嶼国(しょうとうしょこく)の気候変動脆弱性」を訴えるリーダー的存在となり、再生可能エネルギー導入、海洋保護区拡大、ブルーエコノミー政策など気候変動に対応する施策を強化中。

2025.6.29「H-IIAロケット」50号機で終了

2001年8月18日種子島宇宙センター

H-IIAロケット1号機は、2001年8月29日打ち上げに成功した。

画質が悪いが、2001年8月18日付の種子島宇宙センターの写真が出てきた。H-IIAロケット1号機が頭(フェアリング)なしの状態で発射台に立っている。人工衛星などのペイロードはまだ積まれていないだろう。

写真下部に見える白煙は液体燃料エンジンの地上燃焼試験によるものだろうか。

その前のH-IIロケット5号機、8号機の相次ぐ失敗で、まさに後がない状態でH-IIAの開発が行われていたはずだ。

打ち上げを見ることはできなかった。

このH-IIAロケットも50号機をもって終了となった。後はH3ロケットに任された。

ブルキナファソ「国民的英雄の記念碑」

EXPO2025にて、2025年6月23日コモンズD館で西アフリカの国家、ブルキナファソの展示を見た。「国民的英雄の記念碑」の写真が1枚あっただけと記憶している。

地理的にサハラ以南髄膜炎ベルトの中心に位置するブルキナファソは、疾病との戦いに大きな負担を強いられてきた。しかし、この髄膜炎はワクチン普及により徐々に制御されつつあり、現在の貧困の主因とは言えない。

近年急速に貧困を悪化させている決定的要因は、内戦・テロ・治安悪化の方だ。

「国民的英雄の記念碑」の写真は、現在の混迷した政治体制を皮肉ったものだろうか。それとも縋り付くことのできる唯一の誇りの象徴なのだろうか。

アニメ「GQuuuuuuX」ジオン公国ズムシティ公王庁舎に雰囲気が似ている。

「天鵞絨葉巻蛾」ビロードハマキ

和名:ビロードハマキ    チョウ目  ハマキガ科
学 名:Cerace xanthocosma
大きさ: 約3cm
6月に品川区で撮影

ビロードのような質感の翅は、黒地に黄色い斑点模様がびっしり。そこに2本の赤いラインが縦に通っていて、アクセントとなっている。体全体がオーバル型で、まるでファンシーな「おはじき」、「アート作品」のように見えます。

さらに隠れた魅力となっているのが靴下を履いたような脚です。ビロードハマキの脚は、節ごとに色が切り替わっていて、黒と淡色のストライプといえる配色になっている。この切り返しがまるで「短めのソックス」や「ボーダー柄のレギンス」を履いているようで、とてもキュート。

細部にまでファッションセンスを感じさせる、とても素敵な蛾です。